華林 第 9 号

(平成15年3月発行)

学びの姿勢を失うことなく

学校法人 佐藤栄学園
理事長 佐藤 栄太郎

 皆さんが青春の思い出を刻んだ埼玉短期大学は、早いもので開学15周年目の春を迎えました。建学の精神「人間是宝」に基づき、学長はじめ諸先生の教えによく応え、新しい世界へ巣立つ第13期生、また職場に家庭にしっかりと根を張って努力を続けている卒業生の皆さんも、私と同様、感慨新たなものがあろうと推察いたします。

 歴史をちょっとひもとくと、いつの時代にもリーダーになる人たちはその時代に、また後世に、きらりと光る言葉を残していることに気が付きます。

 その一人の福沢諭吉は明治5年、「学問のすゝめ」を著わしました。その中の最も有名な一節は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」でありましょう。

 生まれながらにして人間に上下の差はないが、学ぶと学ばざるとによって、人間には雲泥の差が生じるのだ、と言っています。富める人、賢き人は、よく学問を修得し、社会のための働きをしている。貧しき人、愚かな人は、自分の人生を見失うような遊びをし、学ぶことを忘れている。そこに貧富の差、賢愚の差ができるのです。

 全ては学ぶことにあり、志を持って一心に勉強することが大切です。生まれながらにして愚かな人間は、いないのです。

 皆さんには、自分がすばらしい人間なんだと自らに言い聞かせ、自分を大切にして学びを続けてほしいと願っております。一層の活躍、健勝を心から祈っております。

「心」を大切に

埼玉短期大学
学長 佐藤 照子

 春の日差しをうけて、校友会は今年も多数の新入会員を迎えました。

 月日ガ経つのは早いもので、埼玉短期大学はおかげさまで、開学して15年目となりました。この間四千名におよぶ多くの卒業生を送り出し、それぞれさまざまな世界で活躍し、あるいは心温まる家庭を築いている、などとの便りを目にし耳にするとき、教育者として喜びと誇りとを憶えます。今年も、そうした便りがつぎつぎに届きますことを楽しみにしております。

 人生において、何を心がけ何をよりどころに生きていけばよいのか、私の経験を基に気付いたことを取りまとめました。

 一、努力家であり勉強家であること。

向上心を持ち続けることが大切です。職業に就いて仕事をするということを簡単に考えてはいけません。根気強く長く辛抱して働かなくてはなりません。継続は力なりといいます。一つの場所で一生懸命徹底して、辛抱強く働いてほしいと思います。

 二、忍耐心を持つこと。

家庭であれ、学校であれ、会社であれ、どのような組織であっても苦しいこと、泣きたいこと、言いたいこと、不満なこと、腹の立つことがいろいろあります。人間として社会人として成長していくためには、これらのことに耐え、乗り越えていかなくてはなりません。

 三、マナーの正しい気配りのできる人であること。

思いやりの心を持ち、相手の身になって考え、細かく気遣いのできる人であってほしいと思います。

 皆さんどうぞお体に気をつけて、精一杯のご活躍をお願いいたします。

再会を願って

情報メディア学科
伊藤 正弘

 よく学生から「出席は取らないの」と訊かれる。当たり前のように「取ってるよ」と答えると、「絶対うそ!」と決めつけられてしまう。確かに名前を呼んではいないけれど、百人以上の大講義をしているわけではない。高々数十人の教室で、まして計算機を使った演習をしている時に相手の顔と名前が分からないなんてことはない。誰が居ないか分からないなんてことはない。それはあり得ない。

 学生の時、教育実習に参加する際、写真付き名簿を渡されて実習開始までに全員を覚えておくようにと言われた。必死に何かしらの特徴を探して覚えて、実習のクラスに立った時、生徒達ではなく、一人ひとり名前のある個人として目に映ったように記憶している。そしてそこに名前があるからこそ、ちょっとした仕草や表情、声や話し方にも注意が向き、一人ひとりが記憶に残っていくように感じた。

 人と関わりをもつということは、相手の顔を覚え、名前を覚え、ちょっとした仕草や言葉にも興味をもって接していくことから始まるのだろうと考えている。

 以来、新入生の顔と名前を覚えることから一年が始まるということを繰り返して、十数年が過ぎました。卒業生の数も今年で四千名を超すとのこと。卒業生の皆さんも多くの人の顔と名前を覚えながら過ごしてこられたことと思います。

 今回、改めて「華林」を第1号から眺めて、会員だよりの一つ一つに当時の記憶が重なり楽しく時を過ごしました。廊下で滑って照れてる様子や実験室の椅子に正座している様子、何かに怒って八つ当たりされた事などが思い出されます。

 華林祭やクラス会、同窓会等では新しい「今の顔」を是非見せて下さい。